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<新川柳>
明治35、36年ごろから阪井久良伎という人物が、川柳を古川柳時代の素晴らしい文芸に戻そうという運動がはじまり、少し遅れて出てきた井上剣花坊と切磋琢磨しつつ、新しい川柳への革新運動が始まりました。たった一握りの人々で始まった新川柳運動は、野火のごとく全国へ広がり、5年も経たないうちに川柳宗家を中心とする柳風狂句は、傍流へと移り変わってしまいました。
明治40年代には、それまでの川柳の客観的視点に加えて主観的視点で作句する新傾向川柳が生まれ、川柳が<詩>として認識されるようになります。さらに大正期から戦前にかけては、純詩的川柳と思想性をもったプロレタリア川柳を中心とする新興川柳運動が行われ、川柳の表現の視野は一気に幅広いものとなり、六大家と呼ばれる優れた指導者が東西日本に現れ、いよいよ川柳は黄金期を迎えます。
一時、戦前戦中の思想弾圧により、川柳も翼賛化してしまいますが、戦後の復興期には、ふたたび川柳が自由な表現を取り戻し、女性作家の参加も増えて、一気に復活の勢いを早めました。
昭和30〜40年代の六大家没後は、その薫陶を受けた川柳家たちが多くの吟社を興し、一種の川柳戦国時代の様相になりました。全国に雨後の筍のように生まれた川柳吟社は、ブームと呼ばれるほどの勢いとなり、川柳は定着したかに見えました。
昭和50年代からは、いわゆる<現代川柳>という詩性に富んだ作品が作られたり、作家の個人的内面や情念をあからさまに表現するような作品も生まれます。
昭和62年に始まった「サラリーマン川柳」の募集は、以後大ブレークをして、既成川柳界の外から多くの投稿者が生まれ、ふたたび川柳ブームに火がつきました。既成川柳の文芸性より、よく解って面白い川柳は、多くの共感者を得ました。これに乗じて「○○川柳」と何かの名前を冠する、いわゆる属性川柳が盛んになりました。あまりのブームに、企業の広報部などで選考する文芸としてレベルの低い川柳も現れ、これに異見をもつ既成川柳家も現れましたが、川柳人口が一気に倍増したことは、川柳という文芸にとって新しい可能性を示すものとなっています。
そして、平成19年8月25日、川柳が始まってから250年の記念日を迎えようとしています。これまで、多くの作家が現れ、多くの作品を生み出し、また、多くの研究者が出て、川柳を学問の域まで高めてまいりました。
平成19年は、川柳に因む者にとって特別の年となります。川柳愛好者の皆さん、ともに川柳発祥から250年を祝い、喜びを分かち合うとともに、これまでの長い川柳の歴史を振返って、先人の作品や苦労に思いを馳せようではありませんか。
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